《第103話》

壊滅から再生へ


 地震、台風、火災などの災害で、一夜にして店も財産も失う……。そんな事態は、考えたくもないことです。でも日々のニュースでは、私たちはそういう被害にあった人々の悲しみを、いやというほど目にしています。

 被災した人だって、まさか自分の身に災害が降りかかるとは、思ってもいなかったでしょう。みんな自分とは関係ない、どこか遠くのできごとと思っていたに違いありません。ということは、あなたにも、そういう災害がある日突然襲い掛かることが、絶対ないとは言い切れないはずです。

 もちろん、災害に備えての防災対策や保険加入は、たいていの方は、やっているでしょう。でも『想定の範囲』をはるかに超える災害が襲ってきたら、どうでしょう。たぶん誰だって呆然として、立ち上がる気力も失せるのではないでしょうか。

 でも、すべてを失う絶望状態に追い込まれても、そこから再起して、みごとに復興の道を歩んだ人々もいます。しかも前以上の繁栄を達成することも、不可能ではないのです。

二度の壊滅

 現在、横浜中華街には、二百店近い中華料理店が並びます。年間に訪れる人は約1900万人。全国でも有数の観光地として、絶大な集客力を発揮しています。さらにみなとみらい線が開通し、「元町・中華街駅」によりアクセスがよくなったことで、今後も着実に入込客数は増えていくでしょう。

 横浜中華街のルーツは、幕末の横浜開港(1859)にさかのぼります。埋立地に中国人が居住するようになり、次第に中国人街が形成されていきました。そこに発生した悲劇が、大正12年の関東大震災です。埋立地で地盤がゆるかったことが災いし、建物は残らず倒壊。中華街だけで死者二千人にのぼったといわれています。

 震災で住居と仕事を失った人々の多くは、その後また横浜に戻り、中華街を復興させました。しかし悲劇は再度やってきました。戦争です。第二次世界大戦における横浜大空襲により、中華街は焦土と化しました。震災と戦争で、まちは二度も壊滅を体験したのです。

 しかし終戦後、この地はすぐ復興の胎動を開始します。被災地にはバラックが立ち並ぶようになり、やがて飲食店も増えていきました。こうして徐々に傷跡を癒し、にぎわいを取り戻していきました。

 そして半世紀が経過。現在の横浜中華街の活気は、誰もが知るところです。二度もの壊滅を体験しても、前以上の隆盛を達成するのは決して不可能ではないことを、みごとに実証している事例といえるでしょう。

再建の理念

 災害から復興する際は、それを機に新しい店、新しいまちを作ろうと考えるのが普通です。でも横浜中華街は、景観は“昔のままの中華街”。つまり中華街は復興にあたり、古いまちを再現することを目標にしたのでした

 近代的なまちを作れば、新しさは時間経過とともに失われていきます。でも最初から古いまちを作れば、時が経つほど骨董のように価値を増していきます。

 つらい時期でも先々を見通し、このような理念を持って復興にあたったこと。それが、横浜中華街を隆盛に導いた大きな理由ではないでしょうか。

 被災は過酷な体験です。でも嘆いたところで、失われたものは元に戻りません。気持ちを切り替え、災害を“天から与えられた試練”と考えてみてはどうでしょう。

 さて、震災等の災害を経験され、復興途上の皆様には、心から復興達成へのエールを送りたいと思います。そしていずれ、被災体験が笑顔で振り返れる日が訪れますよう、祈念しております。







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